1990年 ステファン・エドベリ( スウェーデン)
マルチナ・ナブラチロワ
ナブラチロワは3年ぶり9度目の優勝を達成、宿願のウィンブルドン歴代1位を実現させる。これが彼女の最後の4大大会優勝になった。通算18勝で、ライバルのクリス・エバートと並ぶ(現在は女子4位タイの記録)
1991年 ミヒャエル・シュティヒ( ドイツ)
シュテフィ・グラフ( ドイツ)
この年の男子シングルス決勝は、シュティヒとボリス・ベッカーとの「ドイツ対決」となる
1992年 アンドレ・アガシ( アメリカ合衆国)
シュテフィ・グラフ( ドイツ)
1993年 ピート・サンプラス( アメリカ合衆国)
シュテフィ・グラフ( ドイツ)
1994年 ピート・サンプラス( アメリカ合衆国)
コンチタ・マルチネス( スペイン)
この年に大会前年優勝者のグラフが1回戦で敗退、女子では初の珍事が起きた
1995年 ピート・サンプラス( アメリカ合衆国)
シュテフィ・グラフ( ドイツ) 松岡修造が日本人男子選手として、1933年の佐藤次郎以来「62年ぶり」のベスト8進出。準々決勝でサンプラスに敗れる
1996年 リカルド・クライチェク( オランダ)
シュテフィ・グラフ( ドイツ)
クライチェクが準々決勝で3連覇中のサンプラスを破って、オランダ人初の4大大会優勝者になった。グラフは4大大会総計を「20勝」の大台に乗せ、マーガレット・コート夫人以来2人目の記録に届く。女子準決勝のグラフと伊達公子選手との日没順延試合が記憶に残る歴史的な大会であった
1997年 ピート・サンプラス( アメリカ合衆国)
マルチナ・ヒンギス( スイス)
ヒンギスは「16歳9ヶ月」での優勝、1968年のオープン化以後の最年少記録を樹立する。またスイス国籍選手として初の優勝(ただし彼女はチェコスロバキア出身の“移住選手”)
1998年 ピート・サンプラス( アメリカ合衆国)
ヤナ・ノボトナ( チェコ)
1999年 ピート・サンプラス( アメリカ合衆国)
リンゼイ・ダベンポート( アメリカ合衆国)
女子の準優勝者シュテフィ・グラフはこの大会を最後の4大大会にすると宣言(8月13日に現役引退を表明)
2000年 ピート・サンプラス( アメリカ合衆国)
ヴィーナス・ウィリアムズ( アメリカ合衆国)
サンプラスは4年連続7度目の優勝で、男子歴代1位になる。
2001年 ゴラン・イワニセビッチ( クロアチア)
ヴィーナス・ウィリアムズ( アメリカ合衆国)
無冠の帝王と呼ばれていたイワニセビッチが、ワイルドカード(主催者推薦)から優勝。
2002年 レイトン・ヒューイット( オーストラリア)
セリーナ・ウィリアムズ( アメリカ合衆国)
2003年 ロジャー・フェデラー( スイス)
セリーナ・ウィリアムズ( アメリカ合衆国)
フェデラーはスイス出身のテニス選手として初の4大大会優勝者になる
2004年 ロジャー・フェデラー( スイス)
マリア・シャラポワ( ロシア)
2005年 ロジャー・フェデラー( スイス)
ヴィーナス・ウィリアムズ( アメリカ合衆国)
2006年 ロジャー・フェデラー( スイス)
アメリ・モレスモ( フランス)
2007年 ロジャー・フェデラー( スイス)
ヴィーナス・ウィリアムズ( アメリカ合衆国)
2008年 ラファエル・ナダル( スペイン)
ヴィーナス・ウィリアムズ( アメリカ合衆国)
男子シングルス決勝戦としては、歴代最長の4時間48分。ナダルはボルグ以来の全仏、全英の連続優勝(同一年優勝)
2009年 ロジャー・フェデラー( スイス)
セリーナ・ウィリアムズ( アメリカ合衆国)
センターコートの屋根が完成。新しく2番コートが新設される。
男子シングルス決勝のゲーム数は77で4大大会男子シングルス決勝では最多記録。
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